政治への原点

生まれ育ったまち「あまがさき」。
私が政治を目指した原点は、「こんなに住みやすいまちなのに評価されないのはなぜか?」です。
歴史を紐解くと確かに色々なことがありました。近代化による経済・産業の発展。その負の側面である公害問題。人口密集による「賑わい」と「犯罪の発生」。様々な事象にはプラスとマイナスがあります。なぜ、その苦難は乗り越えることができたのでしょうか?それはまちに住む市民の力。尼崎は多彩な人が住み集う”まち”で、チカラを合わせた結果、幾多の困難を乗り越えることが出来たのだと私は思います。
私は2005年、29歳の時に市民のみなさんに市議会へ送り出して頂きました。市政の中心で「まちのイメージを変えるには?」、「本当の姿を伝えるためにどうすれば良いか?」、「まちの何を変えればより良いまちになるのか?」を追求し、”政治が出来る事”を実践し、ようやく実を結びつつありました。しかし4年前、多くの皆さんに期待を頂いたにも関わらず、市政の舞台へは上がることはできませんでした。

政治から離れてわかったこと。

私が政治の場から離れた同時期に、尼崎市は「関西住みやすいまちNo.1」と評価されました。皮肉なものです。しかし、政治の中心から離れ、外から冷静に市政を見ることが出来た経験は貴重でした。そして、確信を持つことができました。「まだ私に出来る事がある。」

「政治は誰がするかで結果が変わる。」
今も猛威を振るう新型コロナの対策についても、もっと出来る事はあるはずです。「私ならこうする」、「なぜ、これに取組まない?」という憤りも感じています。変える努力を重ねれば、このまちはもっと変わることが出来るのに、判断が出来る人材が政治に携わっていなければ危機を乗り越えることは出来ない。政治は誰がするかで結果が変わるのです。
私1人の歩みはわずかです。しかし、100人の一歩は100歩にもなります。私は、過去を踏まえ、未来を見据え、”現在(いま)何をなすべきか?”を提言し、みなさんと一緒に、「誇れるまち」の実現を目指します。

 

 

 

 

防災対策
「課題先進都市」と言われるほど、尼崎市は多くの課題が山積です。これまでは福祉の充実や教育の再生が優先課題でした。しかし、今取組むべきは防災対策」「地域コミュニティの再生」です。
30年以内に発生が予測されている南海トラフ沖地震。尼崎市は南部から発展してきた歴史経過があり、南部に古い街並みが残っています。阪神・淡路大震災を乗り越えた旧い住宅が残り、津波対策も必要です。市民の安心・安全を守るためのインフラの再構築を進め、防災機能の強化をはかる防災対策が急務です。行政の一番の役割は、市民の「生命と財産を守る」ことですから。

地域コミュニティの再生
地域コミュニティの強さを測るものさしである「町会加入率」が市内全体で50%を割り込みました。また南部地域は比較的高い状況ですが、武庫地区は35%を切る状況です。コミュニティの機能が低下すると地震や台風などの災害時だけでなく、高齢化率が高い南部地域では、ご近所付き合いが疎遠になり、孤独死なども多くなってきています。
町会の役員が回ってくるのが大変だからと言う理由で町会を脱退する方が多いのですが、終末期にこそ地域コミュニティが必要なのです。私は、10年以上町会長をはじめ様々な地域団体の一員として「おたがいさま・おかげさま」を実践してきた「経験」があります。だからこそ、地域で支え合う仕組みの再構築が必要だと考えます。寺坂よしかずは、『近助(=近くで助ける)』の精神で市民のみなさまを守ります。

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