ポスティングを行うために集合するも、気乗りがしないということで気分転換と尼崎をもっと知ってもらおうと市内の施設などを巡ることに。
まず最初は海側ということで東海岸町や21世紀の森などの計画を説明しながら明後日の委員会で議論になる魚つり公園へ。
釣りを楽しむ人々がいるが、ゴミが散乱して非常に汚い。。。
釣りを楽しむことは勝手だが、自分で出したゴミくらいは持って帰るべきではないか?
そんなことを考えながら次の目的地である田能遺跡へ。
田能遺跡には資料館が隣接しており、出土した甕棺墓や当時の装飾品などが展示されています。
尼崎の中でも最北端の地ということもあり、なかなか足を運ぶことが少ない場所で、私も小学校の遠足で訪れて以来でした。
そもそも田能遺跡は昭和40年に尼崎・伊丹・西宮の3市によって工業用水同園田配水場建設が進められ、その工事現場から大量の弥生式土器が発見され発掘調査が行われたことが始まりです。
藁葺の竪穴式住居や高床式倉庫が復元され、身近にありながら歴史・文化を感じられる施設となっています。
田能遺跡を後にして、次はもう一箇所尼崎の文化・歴史を感じられる尼崎市文化財収蔵庫へ向かいました。
尼崎市文化財収蔵庫は昨年オープンしたての施設で これまで尼崎市が収集してきた文化財の保存・展示・公開を進めるため、旧城内中学校の校舎を改造して現在に至っています。
公式ホームページの説明によると、この建物は、市立尼崎高校の前身である尼崎市立高等女学校の校舎として建てられた建物で、回廊型(ロの字型)の平面を採用。校舎は2期に分けて竣工され、東側約3分の1は1933年3月の竣工で、これは尼崎市立学校の校舎としては現存最古の建物です。また、残り約3分の2は1938年3月の竣工です。
1966年に尼崎高校が上ノ島町1丁目に移転したのに伴い、北城内47に所在していた城内中学校が本地に移転し、入れ替わりに城内高校が北城内47に移転しました。2005年4月に城内・育英両中学校が統合して成良中学校となり本地に所在しましたが、2007年4月に西長洲町2丁目の旧育英中学校所在地に新校舎を建設するとともに移転したため、旧校舎1階部分を尼崎市立文化財収蔵庫として活用することになりました。尼崎市公式ホームページ
となっています。
歴史博物館構想は近年の財政難でストップしていますが、尼崎の文化・歴史を市民や他都市の皆さんに伝えることは非常に重要であると考えます。
郷土愛を育むためにはまず、地域に何があるのかを「知る」ところから始まります。
だからこそ、正しく尼崎の歴史・文化を伝えることが必要なのです。
昨今の風潮では箱物行政には厳しい視線が寄せられますが、ステレオタイプで判断せず、しっかりと見極めることが肝要であると思います。