昨日は、朝から母校である尼崎市立浜田小学校の第62回卒業証書授与式に出席しました。
例年議会日程と重なることが多く、なかなかすべての式に出席をすることができませんが、
人生の節目として非常に、当事者でなくとも気が引き締まります。
午後からは、市民相談があり、その後、議会に向かい、現在審査中の平成25年度予算の調整と続きました。
21日には意見表明・採決となりますが、今の様子だと、原案をそのまま可決。ということにはならなさそうです。
特に、学校施設の有料化にについては、内部努力が足りていないと感じています。
市民負担を求めるならば、もっと早くから地域との調整や取り得るべき対策があったのではないかと思っています。
代表質疑でも指摘をしたように、市民に負担を求める時には、「それ以上本当に知恵を絞り尽くしたかということ」を省みなければならないと考えます。
市民に対して、「困っている」ということを早めに伝え、「この状況では続けられない」、「知恵を貸して欲しい」ということをなぜ、行政は言わないのだろうか。
市民側も、ただ自らの主張を行政に押しつけることなく、「自分たちができることはないか」という状況を前向きに変える知恵をだしていかなければならない。
市民からいつも、批判がある時には「税金を払っているんだからやってもらって当たり前」という認識があります。
しかし、すべてを行政で行うことはできるかもしれません。ただ、もっと税金を支払ってもらえたらという条件付きですが・・・。
「受益と負担」ということについてのバランスの問題が行政のありかたでは大切です。
「誰か」がやらなければならないことを「誰が」やるかということについてもっと当事者意識を持つことが市民も行政の双方に必要です。
時代が変わり、社会が移り変わるからこそ、社会の仕組みも変えていかなければならないと私は思っています。
そんな、市民・行政双方の溝を埋めてしっかりと機能させることが、必要だと今回の一件を通じて改めて気づかせて頂きました。